論文を読む

 

 私は学生時代、ハウ・トゥー本が好きだった。だから、「論文の書き方」的な本を、何冊も読んだ。しかし、論文を上手く書くことはできなかった。

 論文を書くためには、論文を読まなければならない。当然のことだが、自分が何をやろうとしているのかを知るために手っ取り早い方法は、「見本」を見ることだ。それもよい「見本」、すなわちよい論文を手にすることが大切だ。

 よい論文とは、どのような論文か? 答えは、人によって多少異なるかもしれない。

 私にとってよい論文とは、頭が動いていることがわかる論文である。その論旨を追っていくと、こちらの頭も動き出し、活性化してくる、そのような論文である。

 論文とは、その人の考えが記された文章だ。つまり、論文を読むと、その人の頭の中がわかってしまう(それは恐ろしいことでもある)。

 だが、それだけではない。その人の頭の動かし方についていこうとすると、論文に引っ張られるようにして、こちらの頭が動き出す。それは大変に心地よいことである。

 論文を書くのは面倒で大変な作業であるが、時折、心地よさを感じる。それは、頭が動いていることを感じることができるからである。例えば、スポーツを思い起こしてみよう。体が思い通りに動かないときは、スポーツをしていても面白くない。ところが、体の動かし方がわかってきて、自由にプレイできるようになると、心地よくなってくる。それと、とても似ている。

 論文では、論理的な思考力が求められる。だが、「論理的な思考力を身につけるために」などという本を何冊読んでも、力はつかない。水泳に関する本を何冊読んでも泳げるようにならないのと同じことだ。実際に水の中に入って、上手に泳げる人を真似て体をうごかしてみなければ、泳げるようにはならない。それと同じことである。