論文の読み方
一部の学者にしかわからないような、ジャーゴンに満ちあふれた論文は、決して、よい論文ではない。基礎知識と論理的な思考力があれば、誰にでも読める、そのような論文がよい論文である。
とはいえ、完全な日常語で論文を書くことは、不可能ではないにしても、とても難しい。適切な専門用語を用いれば、冗長な説明を省くことが可能となる。その意味では、(ある程度)専門用語を理解することも必要となるし、論文読解を通じて基礎知識を身につけることも大切である。場合によっては、各種の辞典・事典・用語集を参照することも必要となるだろう。そのようにして、論文の内容を正確に理解すること、それが論文読解の第一歩となる。便宜的に、そのような読み方をロジカル・リーディングと読んでおく。
だが、このレベルの読解に止まっていては、論文を読んだとは言えない。既に述べたように、論文とは、その人の考えが書かれた文章である。よって、その人の考えが理解できたところで、その考えに対する自分の考えを示していくような読み方が必要となる。すなわち、創造的な読解(クリエイティブ・リーディング)が求められるのである。
演習でテキストを読む場合、私はまず、ロジカル・リーディングができているかどうかを確認する。英文であれば、まず、単語、文法、構文レベルでの疑問を解消していく。筆者の主張が理解できたところで、その主張に対してどう考えるか、それを参加者に確認していく。
後者が苦手な学生は多い。どうすればロジカル・リーディングができるようになるのか? それを考えていかねばならない。
論文を読む
私は学生時代、ハウ・トゥー本が好きだった。だから、「論文の書き方」的な本を、何冊も読んだ。しかし、論文を上手く書くことはできなかった。
論文を書くためには、論文を読まなければならない。当然のことだが、自分が何をやろうとしているのかを知るために手っ取り早い方法は、「見本」を見ることだ。それもよい「見本」、すなわちよい論文を手にすることが大切だ。
よい論文とは、どのような論文か? 答えは、人によって多少異なるかもしれない。
私にとってよい論文とは、頭が動いていることがわかる論文である。その論旨を追っていくと、こちらの頭も動き出し、活性化してくる、そのような論文である。
論文とは、その人の考えが記された文章だ。つまり、論文を読むと、その人の頭の中がわかってしまう(それは恐ろしいことでもある)。
だが、それだけではない。その人の頭の動かし方についていこうとすると、論文に引っ張られるようにして、こちらの頭が動き出す。それは大変に心地よいことである。
論文を書くのは面倒で大変な作業であるが、時折、心地よさを感じる。それは、頭が動いていることを感じることができるからである。例えば、スポーツを思い起こしてみよう。体が思い通りに動かないときは、スポーツをしていても面白くない。ところが、体の動かし方がわかってきて、自由にプレイできるようになると、心地よくなってくる。それと、とても似ている。
論文では、論理的な思考力が求められる。だが、「論理的な思考力を身につけるために」などという本を何冊読んでも、力はつかない。水泳に関する本を何冊読んでも泳げるようにならないのと同じことだ。実際に水の中に入って、上手に泳げる人を真似て体をうごかしてみなければ、泳げるようにはならない。それと同じことである。
論文の書き方(超基本編)
超基本的なことではあるが、思いの外、基本的なことを聞かれることがあるので、簡単にまとめておく。
人文系の学術論文に書くことは、大きく2つ、「調べたこと」と「考えたこと」である。基本的には、この2つがきっちりと書けていればよい。
例えば、ヒュームをテーマとして論文を書くのであれば、まずヒュームが書いた文章を読む。次にヒュームについて書かれた文章を読む。そしてそれらを踏まえて、ヒュームについて、自分が考えたことを書く。それでよい。
エリアーデをテーマとして論文を書くのであれば、まずエリアーデの書いた文章を読む。次にエリアーデについて書かれた文章を読む。そしてエリアーデについて、自分が考えたことを書く。それでよい。
要するに、一次文献(ヒュームやエリアーデの書いた文章)と二次文献(ヒュームやエリアーデについて書かれた文章)を読んで、自分の考えを書くということだ。
ただし、ヒュームやエリアーデの伝記を書くわけではないし、ヒュームやエリアーデに関するすべての文献を読むことなど到底できないので、「ヒュームについて」や「エリアーデについて」といったタイトルで論文を書くことは避けなければならない。「ヒュームの○○について」や「エリアーデの○○について」のように、テーマを絞り込まなければならない。
「巡礼」について論文を書くとなると、少し事情が違ってくる。上の例に倣えば、巡礼を紹介した文章を読み、巡礼を研究した文章を読み、そして巡礼について自分の考えを書くということになる。研究書、研究論文に当たらなければならないという点は変わらない。だが、巡礼を紹介した文章を読むだけでなく、巡礼体験者の体験談を集めたり(場合によっては、直接会って話を聞いたり)、実際にその地を訪れて様々な資料・情報を集めたりすることも必要となるだろう。さらには、自分自身が巡礼を体験することにも、大きな意味があると思う。ただし、論文は体験記ではないので、体験したことをそのまま書くわけにはいかない。分析の対象となる「資料」を集め、整理し、それについてあれこれと論じていくことになるわけである。
宗教学研究会のお知らせ
皆様におかれましては、日々ご清祥のこととお喜び申し上げます。
平成28年度第3回宗教学研究会を下記のように行いますので、どうぞご参集くださ い。
記
1. 日時: 2016年7月16日(土) 14:30-18:00
2. 場所: 北海道大学 人文・社会科学総合教育研究棟(W棟)515教室
3. プログラム(敬称略、タイトルは変更の可能性有)
14:30-16:00 林思憶「中国人が語る日本人の死生観」
16:10-17:40 小出亜耶子「諏訪信仰と風鎮め神事の世俗化」
以上
また、研究会の後、食事会を催したく存じます。そちらにも是非ご参加下さい。 7月9日(土)までに、宮嶋 miyajima@let.hokudai.ac.jp まで、研究会・食事会の出欠をお知らせくださるようお願いいたします。 よろしくお願いいたします。
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〒060-0810 札幌市北区北10条西7丁目
宮嶋俊一
TEL/FAX 011(706)4052
E-mail miyajima@let.hokudai.ac.jp
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